日本発で世界初 日本の発明・発見の一覧
Wikipediaの日本の発明・発見の一覧から抜粋して年代別に並べてみた。
■【将棋】元禄年間の1696年に出版された『諸象戯図式』によると、天文年中(1532年 – 1555年)に後奈良天皇が日野晴光と伊勢貞孝に命じて、小将棋から醉象の駒を除かせたとあるが、真偽のほどは定かではない。
室町末の厩図屏風には、将棋に興ずる人々が描かれている。
■【畳を敷き詰めた部屋】平安時代までは板床に敷くクッションの一種のような感覚で使われていた。
室町時代に入ると、書院造の登場によって部屋全体に畳を敷く様式があらわれ、移動させることがなくなった畳はより分厚く重くなり、茶道の拡大に伴い、正座と共に普及していった。
★「書院」の原型を、足利義政が慈照寺(銀閣寺)の東求堂(1485年(文明17年))に造った「同仁斎」に見ることができる。
これは四畳半の小さな一間すなわち「方丈」の書斎であるが、付書院と棚を備え、畳を敷き詰めたものである。
■寒天は1658年頃に美濃太郎左衛門によって日本で発見された。
江戸時代前期、山城国紀伊郡伏見御駕籠町(現:京都府京都市伏見区御駕籠町)において旅館「美濃屋」の主人・美濃太郎左衛門が、島津大隅守が滞在した折に戸外へ捨てたトコロテンが凍結し、日中に融けたあと日を経て乾物状になったものを発見した。
試しに溶解してみたところ、従来のトコロテンよりも美しく海藻臭さもなかった。
これを黄檗山萬福寺を開創した隠元禅師に試食してもらったところ、精進料理の食材として活用できると奨励され、その際に隠元によって寒天と命名されたという。
■【終結式】1683年、関孝和は、終結式に基づく消去理論「解伏題之法」を考え出した。終結式を表現するため、行列式を考案した。
■【消去理論】1683年、関孝和は終結式に基づく消去理論「解伏題之法」を考え出した。終結式を表現するため、行列式を考案した。
■【行列式】日本では、高次代数方程式系における変数の消去を研究するために行列式が導入された。それらは終結式の係数の表現に利用された。独立関数としての行列式は 1683年に関孝和によって最初に研究された。
■【ベルヌーイ数】関孝和が研究し、彼の死後の1712年に出版された。同時期にヤコブ・ベルヌーイが独自にこの概念を発展させたが、彼の作品はその1年後に出版された。
■世界最初の先物取引所市場は1730年代の日本の堂島米会所であった。
■ローソク足チャートは、18世紀に日本の金融商品であった米穀商の本間宗久によって開発された。欧米には、スティーブ・ニソンの著書「日本のローソク足チャートの技法」で紹介された。
■アダム・L・カーンは、18世紀後半の絵本「黄表紙」が世界初の漫画本である可能性を提案した。これらの絵画物語は、現代の漫画と同じくユーモア、風刺的、空想的なテーマを持っている一部の作品は木版画で連載として量産された。
■華岡青洲は、1804年に世界で初めて全身麻酔を手術に用いた外科医で、乳がんや中咽頭癌の手術、壊死した骨の除去、四肢の切断などの手術を日本で恐れずに行った
■【ソディの6球連鎖】入澤新太郎博篤は、1822年(文政5年)にソディの6球連鎖を算額で分析しており、これを最初に行った人である。
■大原幽学は天保9年(1838年)に先祖株組合という農業協同組合を世界で初めて創設した。
■【魚拓】魚拓は庄内藩が発祥とされ、現存する日本最古のものは現在の東京都墨田区錦糸町付近で1839年に釣られた鮒の魚拓「錦糸堀の鮒」とされている。
★魚拓(ぎょたく)とは、釣りで釣った魚の像を、墨や絵の具を使って紙などに転写したもの。 釣り上げた魚の原寸大の記録を残すために行われる。
魚に直接墨を塗り布や紙に写し取る「直接法」と、魚に布や紙を載せて、上から墨や絵の具で色をつける「間接法」がある。
★魚拓は庄内藩が発祥とされ、日本で現存最古のものは天保10年(1839年)2月に現在の東京都墨田区錦糸町付近で釣られた鮒の魚拓「錦糸堀の鮒」とされている。
9代藩主酒井忠発が釣り上げた鮒であるとされ、現在は鶴岡市郷土資料館に所蔵されている。
庄内藩では、幕藩体制に入り、平和な世の中にあっても、尚武の心を忘れないために海釣りが奨励された。
夜中に鶴岡城下を出立し、夜の山道を20Km以上歩き、日本海の荒波に「庄内竿」と呼ばれる独特の長い竿を振って鱈などの大きな魚に立ち向かった。
長い竿を担いで目の効かない暗く遠い山道を歩き、あれこれ戦略を立てながら釣り糸をたらし、心を張り詰めながらも静かに獲物を待ち、荒海の中から一気に大きな魚を釣り上げるのは、武士の道に通じ、鍛錬にはもってこいであった。
そして、大きな獲物は、「討ち取った敵将の首」に見立てられ、魚拓にして藩主に献上されたという。
■【万年自鳴鐘】万年自鳴鐘は、1851年に日本の発明家、田中久重によって設計された万年時計である。和時計と呼ばれる日本の時計のカテゴリに属する。
★文字盤の位置を自動で変化させることで、昼夜の長さの変化に対応して一時刻(いっとき)の長さが変わる不定時法に自動で対応する。
久重はこれを回転往復運動を応用することで解決した。
通常ぜんまい動力からは一方向の回転しか生まれないが、虫歯車と名付けられた独創的な歯車に互い違いに2枚の片歯車を組み合わせることによりこれを可能にしている。
この機構はこの万年時計以外では世界のどの機械でも使用が確認されておらず、セイコーの時計技師で戦後数々の独創的技術を開発して同社を世界的企業に成長させることに貢献した土屋榮夫も、このような機構は「考えたこともなかった」と感嘆している。
■スリッパ
開国により西洋人が多く日本に訪れるようになった明治初頭、室内で靴を脱ぐ習慣の無い西洋人が土足で屋内へ入り込む問題が発生し、それを解決するために仕立て職人である徳野利三郎が1907年(1876年という説もある)に発案した上履きが、現在のスリッパの原型であると言われている。当時は、靴の上から履くためのものだった。
『日本経済新聞』は更に古い起源説を紹介しており、徳野が横浜居留地に住む外国人の依頼で初めて製作したのは1868年だという。徳野の孫からの聞き取りに基づき、松永はきもの資料館の学芸員が復元している。また1867年には、福沢諭吉が著書『西洋衣食住』で欧米の「上沓」「スリップルス」を紹介している。
■人力車は1870年(明治3年)和泉要助が発明したと言われる。江戸時代以前には存在せず、代わりに大八車などが使われていた。
■【柔道】1882年に日本で嘉納治五郎によって、身体的・精神的・道徳的な教育法として創られた。
■【タカジアスターゼ】ニホンコウジカビとして知られる別個の微細真菌の成長、発達、栄養から生じるジアスターゼの一形態。高峰譲吉は、1894年にそのために世界初の抽出方法を開発した。
日本の製薬会社三共の事実上の創業者である高峰譲吉は、麹菌からジアスターゼを抽出し、自身の名の「タカ」を冠してタカジアスターゼと命名して1894年(明治27年)に特許を申請した。
高峰のジアスターゼ(アミラーゼ)の抽出成功は古くから餅を食べるとき大根おろしをつけて食べると胃がもたれないと言う事が大きなヒントとなったとも伝えられる。
夏目漱石の作品『吾輩は猫である』には、佐伯矩が発見した大根ジアスターゼについてと思われる新聞記事やタカジアスターゼを常用する人物が描写されて、消化を促進するという機能が広く知られ用いられた様子がわかる。
現在、正式な物質名はアミラーゼであるが、旧名であるジアスターゼも医薬品/化学薬品の『タカジアスターゼ』として使用されている。
★アミラーゼ (amylase)とはジ(ヂ)アスターゼとも称される、膵液や唾液に含まれる消化酵素。
■1885年【エフェドリン合成】エフェドリンの自然界での形態は、伝統的な漢方薬でマオウ(麻黄)として知られていて、漢の時代から中国で文書化されていた。
しかし、エフェドリンの化学合成は日本の有機化学者である長井長義によって1885年に初めて達成されるまではなかった。
★エフェドリン(英: ephedrine)は、充血除去薬(特に気管支拡張剤)、または局部麻酔時の低血圧に対処するために使われる交感神経興奮剤で、漢方医学で生薬として用いられる裸子植物のマオウ(麻黄)Ephedra sinica Stapf に由来するアルカロイドである。甘味剤の1種である。
■1885年(明治18年)7月16日に栃木県の宇都宮駅で販売されたおにぎりが駅弁のはじまり(諸説あり)。
■1885年(明治18年)ドイツのカール・ガスナー (de:Carl Gassner) がドイツで乾電池の特許を取得(生産開始は1888年)。小型湿電池の性能に不満を抱いた日本の時計技師屋井先蔵が、より取扱いが簡素でまた日本の寒冷地でも使用可能な時計用小型一次電池「屋井式乾電池」を作る。
■1889年、北里柴三郎は不可能といわれた破傷風菌の純粋培養に世界で初めて成功した。さらに破傷風菌の毒素を無力化する「抗毒素(抗体)」を発見した。
■1890年【血清療法】北里柴三郎とエミール・ベーリングが血清療法の発見を共同で発表。
■1894年【メタンフェタミン】メタンフェタミンは、1894年に化学者の長井長義によって日本で初めてエフェドリンから合成された。
1919年には、薬理学者の緒方章によって塩酸メタンフェタミン(ヒロポン)の結晶化に成功した。
★メタンフェタミン(英語: methamphetamine, methylamphetamine)は、アンフェタミンの窒素原子上にメチル基が置換した構造の有機化合物である。
間接型アドレナリン受容体刺激薬として中枢神経興奮作用はアンフェタミンより強く、強い中枢興奮作用および精神依存性、薬剤耐性がある。
日本では商品名ヒロポンで販売されているが、現在は「限定的な医療・研究用途での使用」のみに厳しく制限されている。
日本では覚醒剤取締法を制定し、覚醒剤の取扱いを行う場合の手続きを規定するとともに、それ以外の流通や使用に対しての罰則を定めている。
メタンフェタミンはこの取締法におけるフェニルメチルアミノプロパンであり、日本で乱用されている主な覚醒剤である。
★1888年(明治21年)、日本の薬学者・長井長義が『麻黄研究物質第33号』として合成し、1893年(明治26年)に薬学雑誌に発表した。
1919年(大正8年)、緒方章がその結晶化に成功した。合成に成功した当時は、覚醒作用や依存性は発見されていなかった。
■1901年【アドレナリン】ニュージャージーの研究所にいた高峰譲吉と助手の上中啓三は1900年にウシの副腎からアドレナリンを発見し、1901年に世界で初めて結晶化に成功した。
■1904年【原子の惑星モデル】長岡半太郎はJ. J. トムソンのブドウパンモデルに代わるものとして、はじめて原子の惑星モデルを提案した。アーネスト・ラザフォードとニールス・ボーアは後に1913年により有望なボーアの原子模型を開発した。
■1907年【グルタミン酸ナトリウム】グルタミン酸ナトリウムは池田菊苗が1907年に発見し、1908年に特許を取得した。
■1910年、日本の科学者、鈴木梅太郎が米ぬかから水溶性の微量栄養素の複合体を抽出することに成功し、それをオリザニンと命名した。彼はこの発見を東京化學會誌に日本語で発表した。ポーランドの生化学者カシミール・フンクは、後にこの複合体を1912年に「ビタミン」と命名することを提案した。
■1914年9月5日、洋上の水上機母艦から発進した航空機の実戦活動
日本軍の水上機母艦「若宮丸」(のちの海防艦「若宮」)に搭載されたモーリス・ファルマン式複葉水上機が、青島の戦いでドイツ軍基地を攻撃。
■1915年【人工癌の作成】山極勝三郎と市川厚一は1915年、世界初の化学物質を使った人工癌の作成について口頭発表し、1916年に論文発表した。
■【KS鋼】本多光太郎が1917年に発明したタングステン鋼の3倍の保磁力を持つ耐磁鋼。
★1916年、軍から「第一次世界大戦中なので外国から磁石鋼が輸入できないため、作ってほしい」という要請を受けて、鉄の磁性研究に取り組んだ。
その結果、1917年に東北帝国大学の本多光太郎と高木弘によって発明され、世界最強の永久磁石鋼として脚光を浴びた。また、同年に特許出願し(32234号)、特許権を住友吉左衛門に無償で渡している。
このことにより、計測機器の性能を向上させ、工業発展に貢献し、日本で磁石開発が盛んに行われるようになった。
■1917年【ウルシオール】1917年、真島利行がアルキルカテコールの混合物であるウルシオールを発見した。また、ウルシオールがアレルゲンであることを発見し、ウルシオールがツタウルシやウルシなどのトキシコデンドロン属の植物に皮膚刺激性を与えることを明らかにした。
★ウルシオールはウルシ科の多くの植物に含まれ、カシューナッツの殻やマンゴーの果実の皮にも見られる。
触れると皮膚に発疹を生じることがある。
語源は日本語の漆である。
湿潤な環境の下で樹液が酸化、重合すると粘度の高い液体となり、伝統的な漆器の製造に用いられる。
20世紀初頭には、ウルシオールの化学反応によって漆の固化が生じることが明らかにされた。
■【駅伝競走】競技としての最初の駅伝は、東京奠都50周年記念として讀賣新聞社会部長・土岐善麿の発案で同社が主催し、1917年4月27日に行われた「東海道駅伝徒歩競走」とされる。
■【高木存在定理】高木存在定理は、第一次世界大戦中に高木貞治が単独で開発したもので、1920年の国際数学者会議で発表した。
★類体論の高木の存在定理 (Takagi existence theorem) とは、代数体 K に対してその有限次アーベル拡大と K の一般化されたイデアル類群の間に 1 対 1 の対応が存在するという定理である。
この定理を存在定理と呼ぶ理由は、証明の最も困難な部分が K のアーベル拡大体の存在を示す部分にあるからである。
■【藤原の効果】藤原の効果(ふじわらのこうか、英: Fujiwhara Effect)または藤原効果(ふじわらこうか)とは、2つの熱帯低気圧が約1000km以内に接近した場合、それらが干渉して通常とは異なる進路をとる現象のことである。
1921年に当時の中央気象台所長だった藤原咲平が、このような相互作用の存在を提唱したためこの名がある。
■鳳翔は世界で初めて完成した専用空母で、1922年に大日本帝国海軍に就役した。
■1924年【力織機】豊田佐吉は、数多くの織機を発明した。最も有名な発明は、自働化の原理を応用した自動織機である。
それは1924年の豊田G型自動織機で、停止せずにシャトルを交換できる完全自動高速織機で、他にも数十の工夫がなされている。当時は、品質が飛躍的に向上し、生産性が20倍に向上した世界最先端の織機だった。
■1926年に高柳健次郎が世界初の完全電子式テレビシステムを発明し、フィロ・ファーンズワースより数ヶ月早かった。
■八木・宇田アンテナは、1926年に日本の仙台にある東北帝国大学の宇田新太郎が、同じく東北帝国大学の八木秀次の協力を得て発明した。
■ジェット気流は、日本の気象学者、大石和三郎が測風気球の追跡で初めて発見した。しかし、大石の研究はエスペラント語で1926年に発表されたため、日本国外ではほとんど注目されなかった。
■野菜への接ぎ木栽培は、1927年に兵庫県明石郡林崎村(現・明石市林崎町)の農家、竹中長蔵がスイカのつる割病対策として開発したものが世界初。
■【流星バースト通信】流星と電波伝搬の相互作用の最初の観測は、1929年に長岡半太郎によって報告された。
★流星バースト通信(りゅうせいバーストつうしん、英: meteor burst communications:MBC)とは流星のため発生する電離電子による電波の反射[1]を利用した通信法である。
流星による反射は流星散乱(meteor scatter, MS)と呼ばれる電波伝播モードの一種であり、見通し外通信ができる。
送信にバースト信号(短い信号)が用いられるため利用する信号の観点から流星バースト通信と呼ばれるが、伝播の観点からは流星散乱通信と呼ばれる。
アマチュア無線では流星散乱通信と呼ぶことが多い。
通信利用でなく流星に関連した電波の反射を流星の観測に利用すれば流星電波観測となり、反射のレーダー観測を行えば高層大気の観測方法となる。
■【デジタルシステム設計、デジタルコンピュータ理論】1930年代、NECの技術者である中嶋章は、スイッチング回路理論でデジタルシステム設計の基礎を築いた。
その理論では、論理ゲートを代数的に解析して回路を設計する方法として2要素ブール代数を定式化したものである。
スイッチング回路理論は、現代技術のほとんどすべての分野でデジタルシステム設計のための数学的基礎とツールを提供し、デジタルコンピュータ理論の基礎となった。
■1930年に加藤与五郎と武井武がハード・フェライトとソフト・フェライトを発見した。
フェライト(ferrite)は、酸化鉄を主成分とするセラミックスの総称である。 強磁性を示すものが大半であり、磁性材料として広く用いられている。 軟磁性を示すものをソフトフェライト、硬磁性を示すものをハードフェライトと呼ぶ。
■【MK鋼】ニッケルとアルミニウムを含む合金であるMK鋼は、1931年に日本の冶金学者である三島徳七によって開発された。
★1931年に日本の冶金家である三島徳七によって開発された。
MKは「Mishima-Kizumi」の頭文字(養家の三島家と、生家の喜住家)に由来する。
合金を鋳造した後摂氏600度以上で焼き戻すことで作られる。
当時最強の磁石鋼として知られていたKS鋼よりも安価で硬く、かつKS鋼の2倍の保磁力を持つ。
MK鋼は形状や大きさを変化させても強い磁力を維持することができるため、色々な形のものがある。
U型磁石、棒磁石、ゴム磁石(弾磁石)、丸磁石、玉磁石などがある。温度変化や振動に対しても安定した磁力を発生させることができる。
この特性を利用し、エレクトロニクスや航空、自動車などの産業で広く用いられている。
■【スイッチング回路理論】1934年から1936年にかけて、NECの技術者である中嶋章が独自に発見した2要素ブール代数がスイッチング回路の動作を記述できることを示す一連の論文でスイッチング回路理論を紹介した。
■【新KS鋼】1934年の本多らによる新KS鋼は再び最強の磁石となった。
★新KS鋼(新KSこう、NKS steel)は、コバルト・アルミニウム・ニッケル・銅・チタンを含む鉄の合金、磁石鋼。
概要
1934年、東北帝国大学の本多光太郎によってMK鋼を改良して開発された。
最初のKS鋼の4倍近い保磁力を有し、これにより1931年に東京帝国大学の三島徳七によって開発されたKS鋼の2倍の保磁力を有するMK鋼から世界一の保磁力の座を奪還した。
■1934年 湯川秀樹は、1934年に原子核をつなぎ合わせる核力の担い手である「中間子」の存在とそのおおよその質量を予測した。
■1934年満州にて全車両冷暖房完備列車 – 南満州鉄道の超特急列車「あじあ号」が走る。
■最初の人工雪の結晶は、中谷宇吉郎が初めての試みから3年後の1936年に作成したもの。
■【携帯用心電計】武見太郎は1937年に最初の携帯用心電計を製作した。
■【ベクトル心電図】武見太郎は1939年にベクトル心電図を発明した。
■1939年【ビニロン】京都帝国大学の桜田一郎および共同研究者の李升基、大日本紡績(現・ユニチカ)の川上博らによって1939年に初めて合成された。ナイロンに2年遅れで続き世界で2番目に作られた合成繊維であり、日本初の合成繊維である。
現在の用途は学生服、レインコート、鞄、ロープ、漁網、繊維補強コンクリートの補強用繊維、外科用縫合糸などに、また非繊維用途として農業資材や水溶性樹脂素材、包装材や偏光板等にも用いられている。自衛隊の幌、幕舎(テント)、作業服にもビニロンとの混紡製品がある。
■1941年4月10日、世界初の機動部隊(空母機動部隊)が第一航空艦隊編成される。
■【伊藤の確率解析】大戦中の1942年に、伊藤清は伊藤の補題で知られる確率微分方程式を確立した。
確率積分を計算する上で重要な伊藤の公式(伊藤ルール)は米国科学アカデミーに評価されている。
伊藤の公式は確率解析学における基本定理で確率積分の計算手段を示したもので、この公式無しでは確率解析における計算はほぼ不可能といえる。
ファイナンス分野への貢献
従来、方程式で表現することができるグラフは直線もしくは規則性を持つ曲線のみで、全く規則性のないランダムな曲線は、方程式で表せなかった。
伊藤の定理は微積分に確率論を導入することで、ブラウン運動の軌跡や、株式や債券の金融商品の価格変動のチャートなど、規則性のない曲線を方程式で記述可能にした。
このため、将来のある時点における金融商品の理論価格を方程式で算出可能となり、 数学に留まらず1990年代に発達した金融工学理論の進歩に多大な貢献があった。
デリバティブの一種であるオプションの価格評価式であるブラック-ショールズ方程式の導出は伊藤の定理が基礎となっており、同方程式の考案者としてノーベル経済学賞を受賞したマイロン・ショールズは伊藤に会った際にわざわざ握手を求め、伊藤の定理に敬意を表した。
伊藤自身は経済学に無関心で、ある経済学者の集まりに出席した際にあまりの歓迎ぶりに当惑し、そもそもそんな定理を導いた記憶はないと言い張ったという。
■食品サンプルは、1945年に日本が降伏して第二次世界大戦が終わった後に発明された。日本に旅行する欧米人は日本語のメニューを読むのに苦労し、それに対応するために、日本の職人やろうそく職人は、外国人が食欲をそそるものを簡単に注文できるように、蝋製食べ物を作った。
■【競輪】国民体育大会は1948年(昭和23年)10月に第3回が福岡県で開催されることとなったが、莫大な経費が嵩む自転車競技場の建設には県内のどの自治体も及び腰であり、自転車競技の開催が危ぶまれるという事態に陥った。
これを回避すべく、小倉市が「人気種目の野球を小倉市で開催する」ということを条件に、抱き合わせする形で自転車競技場の建設に名乗りを挙げたのだった。
その後、自治体の戦後復興費用捻出および自転車産業の発展を目的として自転車競技法が1948年(昭和23年)8月に成立。
同年11月20日、地方の財政健全化と経済情勢全般の健全化、自転車産業の振興を掲げ、国体会場でもあった小倉競輪場において第1回の競輪競走が開催され、ここに競輪が誕生した。
第1回の小倉競輪競走では、単勝式と複勝式の2種類の車券が発売された(連勝式の発売は、同年12月11日に開催された大阪府営府大競輪場(大阪住之江競輪場)が最初)。
車券売り上げの中から25%が控除され、更にその中から必要経費を差し引いた額が自治体等の財源となるわけだが、ノウハウもなく全てが手探りの状態で始められた小倉競輪はいきなり赤字となる可能性もあり、税収が殆どなく職員に支払える給料もままならなかった時代では正に競輪開催そのものが賭けであったという。
第1回小倉競輪は予想を上回る成功をおさめ、財政難打開の手段として競輪を開催しようとする動きは他の地方自治体へ波及し、第1回小倉競輪以降の2年間で50以上の競輪場が建設され、1953年開設の静岡まで63の競輪場が開設された。
競輪の一例
■1948年12月、古野清孝は古野清賢と合資会社古野電気工業所を設立し、魚群探知機を一台当たり60万円で本格的に販売開始した。世界初の実用的かつ量産された魚群探知機である。
■1950年【胃カメラ】杉浦睦夫は、日本で初めて胃カメラ(現在の上部消化管内視鏡)を開発したことで有名な技術者である。彼の話は、NHKのドキュメンタリー番組「プロジェクトX~挑戦者たち~」で紹介されている。杉浦はオリンパス光学工業に在職中の1950年に初めて上部消化管内視鏡を開発した。
■【JFET (接合型電界効果トランジスタ)】JFETの最初のタイプは、1950年に日本の技術者である西澤潤一と渡辺寧によって発明された静電誘導トランジスタ(SIT)であった。SITはチャネル長が短いJFETの一種である。
■【静的誘導トランジスタ】1950年に西澤潤一と渡辺寧によって発明された。
■【PINダイオード/フォトダイオード】1950年に西澤潤一らによって発明された。
■【岩澤理論と岩澤理論の主予想】岩澤健吉によって創始された岩澤理論は、もともとはイデアル類群のガロワ加群理論として発展した。
岩澤理論の主要な仮定は、p-進L-函数と円分体のイデアル類群との間の深い関係であり、クンマー・ヴァンディヴァー予想を満たす素数については岩澤 (1969) が証明し、すべての素数についてはMazur and Wiles (1984) が証明している。
★草創期の1950年代から理論の構築は絶えず続けられ、この加群の理論と久保田やレオポルド (Leopoldt) が1960年代に考案した p-進 L 関数の理論の間の基本的考察が提示された。
p 進 L 関数は、ベルヌーイ数から始めて補間法を用いて定義される、ディリクレの L 関数の p-進の類似物である。
最終的に、クンマーによる正則素数に関する結果から世紀を隔てて、フェルマーの最終定理の前進する見通しが立ったことが明らかとなった。
岩澤主予想(Main conjecture of Iwasawa theory)は、(加群の理論と補間法の)二種類の方法で定義される p-進 L 関数は(それが定義可能な限りは)一致するはずであるという形で定式化された。
この予想は結果としては、バリー・メイザー (Barry Mazur) とアンドリュー・ワイルズによって有理数体 Q の場合に、またやはりワイルズによって任意の総実数体の場合に証明された。
■1952年【フロンティア軌道理論】福井謙一は、フロンティア軌道理論を提唱し、1952年に論文発表をした。
★フロンティア軌道理論(フロンティアきどうりろん、英: frontier orbital theory)あるいはフロンティア電子理論(フロンティアでんしりろん)とは、フロンティア軌道と呼ばれる軌道の密度や位相によって、分子の反応性が支配されていることを主張する理論。
1952年に福井謙一によって提唱された。
この業績に対し、1981年にロアルド・ホフマンとともにノーベル化学賞が与えられた。
ウッドワード・ホフマン則はフロンティア軌道理論よりも後に発表されている。
■【アバランシェフォトダイオード】1952年に西澤潤一によって発明された。
■【ビデオテープレコーダ】1953年に沢崎憲一が最初のビデオテープレコーダーであるヘリカルスキャンビデオテープレコーダーの試作機を発明した。
1959年には、東芝が最初の商用ヘリカルスキャンビデオテープレコーダーを発売した。
■【ヨシザワ・ランドレット・システム】ヨシザワ・ランドレット・システムとは、折り紙のモデルに使用される図解システムである。1954年に吉澤章によって最初に開発された。その後、サミュエル・ランドレットとロバート・ハービンによって改良された。
■【パラメトロン】後藤英一は1954年に真空管に代替としてパラメトロンを発明した。
初期の日本のコンピュータは、トランジスタに取って代わられるまでパラメトロンを使用していた。
★パラメトロン(英: parametron)はフェライトコアのヒステリシス特性による、パラメータ励振現象の分周作用を利用した論理素子である。
1954年に当時東京大学大学院理学部高橋秀俊研究室の大学院生であった後藤英一が発明した。
真空管やトランジスタの使用量を大幅に削減してコンピュータを構成できるとして、当時としては多数のパラメトロン式コンピュータが日本で建造された。
比較対象としてリレーよりは速く機械的な接点も無いなどの利点はあったものの、その後すぐに主流となった接合型トランジスタの性能向上が圧倒的で動作周波数でパラメトロンを上回ったこと、トランジスタにはラジオをはじめとする広範囲の応用があったのに対して、パラメトロンは論理素子専用という点でも不利であったことなどにより、1960年代にはほぼトランジスタによって置き換えられ利用されなくなった。
■1954年、文具メーカーのシードが、軟質塩化ビニル樹脂を使って消しゴムの消す効果を高める方法を開発した。1959年に「プラスチック字消し」を発売。
■最初に実用的な電気炊飯器を発明したのは、東京の町工場である「光伸社」の三並義忠。
やがて1955年に自動式電気釜という名で東京芝浦電気(現在の東芝)から世界初の発明品が発売された。
■【固体メーザー】1955年に西澤潤一によって発明された。
★固体メーザー(英語: solid-state maser)とは、固体の利得媒質で発振するメーザー。
■【プログラム内蔵方式トランジスタ・コンピュータ】ETL Mark IIIは1954年に電気試験所によって開発を開始し、1956年に完成された。最初のプログラム内蔵方式トランジスタ・コンピュータであった。
■1956年【カッターナイフ】1956年に岡田良男が「折る刃式ナイフ」を考案し1959年に実用新案を取得。
■1956年【坂田モデル】坂田モデルは、1956年に坂田昌一によって提案されたクォークモデルの前駆体である。
★素粒子物理学では、ハドロンの坂田モデルがクォークモデルの前身でした。
陽子、中性子、ラムダバリオンは素粒子(サカトンと呼ばれることもある)であり、他のすべての既知のハドロンはそれらでできていると提案された。このモデルは、1956年に坂田翔一によって提案されました。
モデルはハドロンの多くの機能を説明することに成功しましたが、ハドロンの理解が進むにつれて、クォークモデルに取って代わられました。
■【半導体レーザー】1957年4月に東北大学の渡辺寧、西澤潤一が、半導体レーザーのアイデアを特許出願し、特許される(特公昭35-13787)
★半導体レーザー(はんどうたいレーザー、英語: semiconductor laser)は、半導体の再結合発光を利用したレーザーである。
■1958年【回転寿司】1958年、東大阪の元禄寿司が「廻る元禄寿司1号店」として開店したのが始まり。
■1958年【トンネル効果】江崎玲於奈は、PN接合ダイオードの研究において固体でのトンネル効果を初めて実証した(ノーベル物理学賞を受賞)。江崎玲於奈と黒瀬百合子は、同効果を利用したトンネルダイオードを発明し、1960年に特許を取得した。
■インスタントラーメンは1958年に台湾出身の安藤百福が発明した。
■日本の文具メーカーのぺんてるが、1960年に黒鉛とプラスチックを混ぜて作った細くて強いシャープ芯を世界に先駆けて作成し、世界初のノック式シャープペンシルを発売。
■1960年【世界で初めての鉄道の座席予約システム】 日本国有鉄道が日本初のオンラインシステムであるマルス1を導入。
★マルス1は最初のマルスで、国鉄の座席予約専用のシステムだった。
ハードウェアは専用に設計されたものを用い、記録装置としては磁気ドラムを採用し、ここに4列車、3,600席、最大15日分の予約が入力可能であった。
1959年3月の運用開始を予定していたが、すべてが1からの手作りであったため、予定には間に合わず同年8月に完成、国内初のオンラインシステムとして1960年2月1日に運用を開始した。中央装置は東京駅丸の内側の乗車券センター内に設置され、端末は東京都内に10台、名古屋と大阪に各1台の計12台が設置された。
当初は下り「第1こだま」「第2こだま」に、その後6月に下り「第1つばめ」「第2つばめ」を加えた4列車の予約業務を行なった。しかし、発券内容を切符として印刷することができず、プリンタで印刷し、それを窓口係員が書き写して切符を作成していた。
マルス1において特筆すべき点としては、東京駅など中央コンピュータに近い窓口では、ブラウン管による座席の予約状況を示す表示がおこなわれたことが挙げられる。
これは日本において、ブラウン管を使ったコンピュータからの情報表示が実用化された極めて初期のものであった。
以後のマルスでは遠方へのサービス等のためにランプによる表示のみとなったが、マルス105ではタイプライタによる出力がおこなわれた。
一方で最初のシステムということで不具合も多く、設置工事中には機器のダイオードが不良となりほぼ全て交換したり、記憶装置の磁気ドラムの破損が発生するなどした。
稼働開始後も係員のミスで記憶されたデータが全面的に破損してすべての控えを手作業で集計しなければならなくなど、様々な失敗や不具合が相次いだ。
現在マルス1の本体は、埼玉県さいたま市大宮区の鉄道博物館に、電気学会から表彰された「電気の礎」プレートとともに展示されている。
■1961年【自発的対称性の破れ】南部陽一郎は「自発的対称性の破れ」という概念を提唱した。これがきっかけとなり、ひも理論、量子色力学、ヒッグス機構のアイデアにつながったと言われる。
■【広中の例】広中の例は、広中平祐が1962年に発見したケーラー多様体の変形である非ケーラー的複素多様体である。
■ニュートリノ振動は1962年に坂田昌一・牧二郎・中川昌美によって、フレーバー間で振動するニュートリノ振動の理論が提唱された。梶田隆章のグループは1998年に大気から降り注ぐニュートリノをスーパーカミオカンデで観測することにより、この現象を実証した。
■1962年【緑色蛍光タンパク質】1962年、下村脩とフランク・H・ジョンソンらは、オワンクラゲから緑色蛍光タンパク質を発見。
単独で発色団(色を発現する化学構造)を形成するのが特徴。
特定分子にこれを付け、挙動の観察により細胞内で起こる生命現象を解析する「蛍光イメージング」の分野で用いられている。
■1962年【イクリオン】1962年、下村脩とフランク・H・ジョンソンらは、オワンクラゲからイクオリンという発光タンパク質を発見し、抽出・精製した。クラゲの発光細胞内でカルシウムの濃度を感知して発光する。
■最初の水性ボールペンは、1963年に日本の文具メーカーのオートが発明したものである
■日本の文具メーカーのぺんてるが、1963年に水性インクを用いたフェルトペンの「ぺんてるサインペン」を完成させ発売した。
■1963年【光通信の提案】インターネット技術の基礎となるハードウェア要素、光通信の三つの必須要素は、東北大学の西澤潤一によって発明された。
それは、光源である半導体レーザー(1957年)、伝送線路であるグレーデッドインデックス光ファイバー(1964年)、光受信器であるPINフォトダイオード(1950年)である。
光通信は1963年に西澤によって提案された。
1970年の林厳雄の連続波半導体レーザーの発明は、光通信の光源に直結し、日本の企業家によって商品化され、光通信の分野を切り開き、将来の通信ネットワークにおいて重要な役割を果たした。
彼らの業績は、情報化時代の基礎を築いた。
■ピクトグラム(絵文字)のトイレマークは1964年の東京オリンピックの施設で使用するために作られた。
■世界初の大容量(当初は最大12両)の「高速鉄道」は、1964年10月に正式開業した日本の東海道新幹線。
■1965年。豊島園が世界初の流れるプールを設置。
■視覚障害者誘導用ブロック 点字ブロックの原型は1965年に三宅精一によって開発された。1967年に岡山市道路に初めて導入された。日本国内で普及し、その後、世界中に普及した。
■缶コーヒーは、1965年に島根県浜田市の喫茶店経営者である三浦義武が発明したもの。
■1966 年【岡崎フラグメント】岡崎フラグメントは、DNA複製の際にラギング鎖に新しく形成される短いDNA断片(フラグメント)である。
岡崎フラグメントはラギング鎖と相補的な役割を果たし、二本の短いDNA鎖を一緒に形成する。
一連の実験により、岡崎フラグメントが発見された。
実験は、1960 年代に岡崎令治、岡崎恒子、坂部貴和子、その同僚によって、大腸菌のDNA複製の研究で行われた。
1966 年、坂部貴和子と岡崎令治は、DNA 複製が断片を含む不連続な過程であることを初めて示した。
大腸菌におけるバクテリオファージのDNA複製に関連する研究を通じて、研究者及び同僚によってさらに研究された。
■1966年【免疫グロブリンE】免疫グロブリンEは、哺乳類にのみ存在する抗体の一種である。
IgEは、1966から1967年に2つの独立したグループによって同時に発見された。
コロラド州デンバーの小児喘息研究所・病院の石坂公成のチームとスウェーデンのウプサラのグンナー・ヨハンソンとハンス・ベニッヒのチームである。
共同論文が1969年4月に発表された。
■1967年【光触媒の発見】藤嶋昭は酸化チタンの表面で光触媒が発生していることを1967年に発見した。
★光触媒(ひかりしょくばい、英: photocatalyst)は、光を照射することにより触媒作用を示す物質の総称である。また、光触媒作用は光化学反応の一種と定義される。
通常の触媒プロセスでは困難な化学反応を常温で引き起こしたり、また化学物質の自由エネルギーを増加させる反応を起こす場合がある。
天然の光触媒反応として光合成が挙げられるが、人工の化学物質を指すことが多い。英語で光触媒の作用は photocatalysis と呼ばれる。
大谷文章は『光を照射したときに起こる反応において,光を吸収する物質が反応前後で変化しない場合』を広義の光触媒反応と定義している。
■世界初のクオーツ腕時計が発表されたのは1967年で、1958年から開発を進めていた日本のセイコーが「アストロン」の原型を公開した。最終的には1969年に一般に公開された。
■1967年 集積回路 (IC) を使用したラジオ – ソニーのICR-100を発売。
■【携帯型ビデオカメラ】1967年にソニーが携帯可能な自己完結型のビデオテープアナログ録音システムを発表した。
■1967年(昭和42年)北千里駅の開業と同時に、乗車券に記録された情報を読み取る方式の自動改札機(オムロン、旧・立石電機製)が設置された。当初は定期券用と普通乗車券用とで改札の方式が異なり、定期券はパンチカード方式、普通乗車券は磁気券(バーコード)方式を採用していた。その後定期券も磁気券方式を採用し、1972年(昭和47年)には定期券・普通乗車券共用の自動改札機に更新されている。
■1968年【マイクロプロセッサ】シングルチップ・マイクロプロセッサ中央処理装置(CPU)の概念は、1968年に日本で開催されたシャープのエンジニア佐々木正と奈良女子大学のソフトウェア工学研究者との会議で考え出された。
佐々木は1968年にビジコンおよびインテルとマイクロプロセッサの概念について話し合った。
最初の商用マイクロプロセッサである4ビットのIntel 4004は、1968年の「ビジコン・プロジェクト」で嶋正利の3チップCPU設計として始まった。
それは、1969年から1970年にかけてインテルのマーシャン・ホフとフェデリコ・ファジン、ビジコンの嶋正利によって設計されたシングルチップマイクロプロセッサに簡略化され、1971年に市販された。
■【アパーチャーグリル】旧来のシャドーマスクと並ぶ、ブラウン管(CRT)ディスプレイの2大技術の1つである。アパーチャーグリルは、1968年にトリニトロンテレビでソニーが導入した。
★アパーチャーグリル(アパーチャグリルとも)はCRTディスプレイの技術の一つで、電子ビームをRGBすなわち赤、緑、青の各色をすだれ状に表示するものを指す。他のCRTディスプレイの技術にシャドーマスクやスロットマスクがある。
アパーチャグリルは、シャドーマスクのように穴が無数に開いた物よりも、遮断される電子ビームが少なく透過量が多いため、より高輝度の画面となるほか、マスクピッチ(マスクに開いた穴の間隔)をより細かく出来る事から、にじみの少ない映像出力を特徴とする。
■【フェイザーエフェクター】1968年、オーディオ・エンジニアの三枝文夫が設計した新映電気のUni-Vibeエフェクターは、位相シフトとコーラス・エフェクトを搭載し、すぐにジミ・ヘンドリックスやロビン・トロワーなどのギタリストに愛用されるようになった。
■【ダイレクトドライブターンテーブル】大阪に本拠地を置く松下(現パナソニック)のエンジニア、小幡修一が発明した。
松下電器が影響力のあるターンテーブル「Technics」シリーズの第一弾として「SP-10」として1969年に発売した。
1971年に発売されたTechnics SL-1100は初期のヒップホップDJにターンテーブルとして採用され、SL-1200は現在でもダンスやヒップホップDJに広く使われている。
■【ビデオカセットレコーダー 試作機】1969年10月29日、ソニーが「カラービデオプレーヤー」として試作機を発表。
当時の規格は4分の3インチテープを用い、再生時間は最大で1時間30分であった。
同社は「社会と家庭生活に一大変化が」「見たい映画や演劇およびテレビ番組を、家庭のテレビ画面にカラーで再生できる」とあおり、この発表の模様を報じた読売新聞は「もうすぐやって来る映画・演劇のカンヅメ時代」との見出しで大きく報じた。
■【ミウラ折り】ミウラ折りは、1970年に東京大学宇宙航空研究所(現・宇宙航空研究開発機構 宇宙科学研究所)の三浦公亮(現・東京大学名誉教授)が考案した折り畳み方である。
★ミウラ折り(ミウラおり)とは、1970年に東京大学宇宙航空研究所(現・宇宙航空研究開発機構 宇宙科学研究所)の三浦公亮(現・東京大学名誉教授)が考案した折り畳み方である。
三浦は、「吉村パターン」(後述)などに関する考察から、それを三角形が基調で片方に折れ曲がるテセレーション折りから、四角形が基調で屏風状に折れ曲がるテセレーション折りにアレンジするなどして、宇宙機の太陽電池パネルなどに応用可能な折りとしてこれを提案した。
実際に、SFUにより宇宙で実験されている。
身近なところでは携帯しやすさが求められる防災・観光用地図の畳み方などに使われている。
ミウラ折り(miura-ori)の名はBritish Origami Societyで名付けられたものである。
完全に畳まれた状態と平面との移行(折り畳み・展開)の途中の状態は、二重波型可展面という可展面である。
折り紙の科学のテーマとしては、「折り紙テセレーション」や「剛体折紙」に関係する。
■【ハンドヘルドテレビ】1970年、パナソニックは大きなポケットに入るほどの小型テレビ、ICテレビ TR-001を発売した。このテレビは1.5インチディスプレイと1.5インチスピーカーを備えていた。
■1970年【弦理論】1970年に南部陽一郎、レオナルド・サスキンド 、ホルガー・ベック・ニールセン (Holger Bech Nielsen|en)が独立に発表したハドロンに関する理論によって登場した。
■【連続波半導体レーザー】林厳雄とモートン・B・パニッシュによって1970年に発明された。
これは、日本の企業家によって商業化された技術である光通信、レーザープリンター、バーコードリーダー、光学ドライブの光源に直接つながった。
■【ポータブル電卓】最初のポータブル電卓は1970年に日本で登場し、すぐに世界中で販売されるようになった。
その中には、サンヨーのICC-0081「ミニ電卓」、キヤノンのポケトロニック、シャープのQT-8B「マイクロコンペット」などが含まれていた。
シャープは小型化と省電力化に力を入れ、1971年1月には「EL-8」を発表した。それはポケット電卓に近く、Facit 1111として販売された
。重さは約1ポンドで、蛍光表示管と充電式ニカド電池を搭載していた。最初の本当のポケットサイズ電卓は、1971年初頭に販売されたビジコン LE-120A「てのひらこんぴゅうたぁ」であった。
■【ビデオカセットレコーダー】最初のビデオカセットフォーマットであるUマチックを採用した機械、ビデオカセットプレーヤーVP-1100とビデオカセットレコーダーVO-1700は、1971年にソニーから発売された。
■【Intel 4004 マイクロプロセッサ】1971年11月15日に発表された4004はテッド・ホフによる基本的なアイディアと、嶋正利による論理設計とフェデリコ・ファジンによる回路・マスク設計による、最初期のマイクロプロセッサとして広知だが、他複数のプロジェクトでほぼ同時期にCADC、TMS 1000、μPD707・708などのマイクロプロセッサと認められるLSIが開発されている。
■カラオケカラオケという名称(空のオーケストラの意味)を誰が最初に思いついたのかについては、様々な論争がある。1つの主張は、1971年に神戸で日本人ミュージシャンの井上大佑がカラオケスタイルの機械を発明したというものである。
■RS-275U(1971年)は世界初のダイレクトドライブカセットデッキである。
■1971年【ヘック反応】1971年に溝呂木勉ら、1972年にリチャード・ヘックらにより独立に報告された。
パラジウム触媒を用いて塩基存在下、初めて応用できるクロスカップリング反応を開発した。
★ヘック反応(ヘックはんのう、Heck reaction)あるいは溝呂木・ヘック反応(みぞろきヘックはんのう、Mizoroki-Heck reaction)は、パラジウム錯体を触媒として塩基存在下、ハロゲン化アリールまたはハロゲン化アルケニルでアルケンの水素を置換する反応である。
反応名は、本反応の発見者である溝呂木勉およびリチャード・ヘックに因む。2010年、ヘックはこの反応の発見および開発の功績により、ノーベル化学賞を授与された。
■【藤田スケール】竜巻の強さを測定するために設計された最初の尺度である藤田スケールは、1971年に藤田哲也(アレン・ピアソンとの共同研究)によって初めて紹介された。この尺度は、改良藤田スケールが開発されるまで世界中で広く採用された。
■1971年【商業用デジタル録音発売】商業用デジタル録音は、1960年代に日本でNHKと日本コロムビア(通称デノン)によって開拓された。最初の商業用デジタル録音は1971年に発売された。
■【デジタルオーディオテープレコーダー】1971年、中島平太郎はNHKの技術研究所長を辞してソニーに入社した。その4年前に中島はNHKで音のデジタル化に着手し、2年以内で初のデジタルオーディオテープレコーダーを開発していた。
■【マイクロコンピュータ】最初のマイクロコンピュータは、1972年に開発されたソードのSMP80/08であり、8ビットのIntel 8008マイクロプロセッサを使用していた。
★インテルの8008を使用したマイクロ・コンピュータSMP-80/08を開発。しかし処理速度が遅かったため、販売を断念。
■筆ペンは1972年にセーラー万年筆が「ふでペン」として発売。
■VHSは1973年に日本ビクターに勤務していた白石勇磨と高野鎮雄によって発明された。
■1973年10月、世界初の6桁液晶ディスプレイの腕時計「セイコークオーツLC V.F.A.06LC」を発表。
■1973年【CKM行列】ニコラ・カビボの研究をもとに、小林誠と益川敏英は、3世代のクォークを導入したカビボ・小林・益川行列を発表した。
2008年、小林と益川は「自然界に少なくとも3つのクォーク族が存在することを予測する対称性の破れの起源を発見した」ことでノーベル物理学賞を二人で受賞した。
■1973年 トップクォークとボトムクォークは、物理学者の小林誠と益川敏英によって、CP対称性の破れを説明するために1973年にはじめて理論化された。
■1973年【スタチン】スタチン系薬剤は、製薬会社の三共に勤務していた生化学者、遠藤章によって1973年に初めて発見され、1974年に特許出願、1976年に論文発表された。
メバスタチンはスタチン系の最初に発見された薬であった[47]。第二のペニシリンとも評されている。
★スタチン (Statin)、またはHMG-CoA還元酵素阻害薬は、HMG-CoA還元酵素の働きを阻害することによって、血液中のコレステロール値を低下させる薬物の総称である。
1973年に日本の遠藤章らによって最初のスタチンであるメバスタチンが発見されて以来、様々な種類のスタチンが開発され、高コレステロール血症の治療薬として世界各国で使用されている。
近年の大規模臨床試験により、スタチンは高脂血症患者での心筋梗塞や脳血管障害の発症リスクを低下させる効果があることが明らかにされている。
■【マイクロバースト】マイクロバーストは、直径4km(2.5マイル)未満の局地的な小規模なダウンバーストであり、1974年に藤田哲也によって初めて発見・確認された。
マイクロバーストは、時速270km以上の風速を発生能力があると確認された。また、藤田はマクロバーストも発見し、これを4km(2.5マイル)以上のダウンバーストと分類している。
■1974年【アベルメクチン】1974年、大村智は放線菌MA-4680株を分離。
1979年、米国メルク社との共同研究で、この放線菌を新種Streptomyces avermectiniusと記載するとともに、生産する抗寄生虫物質をアベルメクチンと命名。
その後、アベルメクチンのジヒドロ誘導体であるイベルメクチンを開発した。
これを基にしたヒト用製剤メクチザンは、オンコセルカ症やリンパ系フィラリア症の治療に効果が大きく出ている。
★2015年のノーベル生理学・医学賞は、アベルメクチンの発見を含む寄生虫感染症治療法の開発を評してウイリアム・キャンベルおよび大村智に、また、アルテミシニン発見を含むマラリア感染症治療を評して屠呦呦に送られた。
■【ラジコンホイール送信機】双葉電子工業は1974年に箱型送信機に初めてハンドルを採用したFP-T2Fを発売した。
近藤科学は1981年にハンドルと、引き金がスロットルとなるピストルグリップを一体化したEX-1を発売した。これは、現在地上で使用されている2種類のラジコン送信機のうちの1つとなった。
★1985年公開の米国映画バック・トゥ・ザ・フューチャー (Back to the Future) で、デロリアン・タイムマシンの無人(有犬?)テスト時に、科学者のドクがタイムマシンを操縦していた送信機は双葉電子工業製。
■【16ビットマイクロプロセッサ】最初のシングルチップ16ビットマイクロプロセッサはNECのμCOM-16(1974年)とPANAFACOMのMN1610(1975年)であった。
■【ダウンバースト】ダウンバーストとは、上空のある点から放射状に地面へ吹き出す強い下降気流のことで、藤田哲也によって1975年に発見された。
★ダウンバースト(英語: downburst)とは、ある種の下降気流であり、これが地面に衝突した際に四方に広がる風が災害を起こすほど強いものをいう。
この突風は風速50mを超える場合がある。
気象学者の藤田哲也はシカゴ大学在籍時、1975年6月24日に発生したイースタン航空66便着陸失敗事故調査を行い、このときの下降流がそれまで考えられていた積乱雲の下降流と異なるため、downdraft outburstと呼び、このときよりdownburst(ダウンバースト)の呼称で呼ばれるようになったとされる。
■長崎空港が1975年5月1日に世界初の海上空港として開業。
■ベータマックスは、1975年5月10日にソニーから一般消費者向けに発売されたアナログビデオカセット磁気テープである。
■1976年【V(D)J遺伝子再構成】北里柴三郎が抗体を発見して以来、100年間、抗体の多様性が未解決の課題であった。1976年、利根川進は「V(D)J遺伝子再構成により、B細胞が自らの抗体遺伝子を自在に組み替えて、無数の異物に対応する無数の抗体を作ることができること」を証明した
■1976年【垂直磁気記録方式の優位性】垂直磁気記録方式は19世紀後半にデンマークの科学者バルデマール・プールセンによって初めて実証されたが、彼は音が磁気的に記録できることを初めて証明した人物でもある。
1976年に岩崎俊一博士(現・東北工業大学学長)が垂直磁気記録方式の密度の明らかな優位性を検証するまでは、垂直磁気記録方式の進歩はあまりなかった。
1978年には、藤原博士が東芝で熱心な研究開発プログラムを始め、最終的には垂直磁気記録に最適化されたフロッピーディスクメディアを完成させ、この技術を使った最初の市販磁気記憶装置が誕生した。
■【CD】コンパクトディスクは、フィリップス(Joop Sinjou)とソニー(土井利忠)が共同で開発した。
ソニーが光デジタル音楽ディスクを初めて公開したのは1976年9月。
1982年に発表したコンパクトディスクと同様の仕様で、サンプリングレート44,056Hz、リニア解像度16ビット、クロスインターリーブ誤り検出訂正など、再生時間150分の光デジタル音楽ディスクの実演を1978年9月に行った。
■【スプリングドライブ】1977年にセイコーの赤羽好和が考案し、1982年に特許を取得した時計のムーブメント(英語版)。伝統的な機械式時計やほとんどのクォーツ時計に見られるような、時間単位での伝統的なビートではなく、真の連続的な秒針を特徴としている。
■1977年 オートフォーカス機構採用カメラ – コニカ(現コニカミノルタ)の「C35AF」発売。
■人工細胞膜 1977年に人工分子から生体膜の基本構造である二分子膜が自己組織的に形成されることを国武豊喜が世界で初めて報告した。
■1977年【導電性高分子】かつて、高分子には電気は流れないと考えられていた。
白川英樹はアラン・マクダイアミッドとアラン・ヒーガーの3人で共同研究を行い、ドーピングという手法で、いくつかのπ電子を引き抜くと電気が流れることを発見し、1977年に報告した。
これはタッチパネルや、小型で大容量の電池などに欠かせない技術である。
■1977年【根岸カップリング】1977年に根岸英一らにより報告。
塩基、添加物や加熱を必要とせず、パラジウムまたはニッケル触媒のもとに縮合させ、炭素-炭素結合生成物を得る手法を開発した。
根岸はこの反応の発見により2010年ノーベル化学賞を受賞した。
■1978年、抗体遺伝子が敵に応じて法則的に変化するクラススイッチモデルを本庶佑が提唱し、その後多くの論文でこれを実証した。
■【鈴木・宮浦カップリング】1979年に鈴木章、宮浦憲夫らが報告。
特別な条件を整えなくても反応が進み、毒性が強い化合物を使わずにすむ。
また、特定のタイプの化合物のみを生成することが可能である。液晶材料の生成や医薬品の製造等、様々に活用されている。
■サバイバルゲームサバイバルゲームは日本で発祥し、1970年代後半に香港や中国に広まった。最初のエアソフトガンの発明者は小林太三である。
■フラッシュメモリ(NOR型、NAND型の両方)は、1980年頃に東芝に勤務していた舛岡富士雄博士によって発明された。
■【母音子音合成 Vowel–consonant synthesis】1980年代初頭の初期のカシオトーンの鍵盤で初めて採用されたハイブリッド・デジタル・アナログ・シンセシスの一種。
■市販品としての自撮り棒は、1980年代初頭に日本で開発され世界で発売されたがあまり普及せず、1990年代半ばには日本の珍発明の1つとして揶揄された。しかし、スマートホンおよび動画投稿サイトの普及によって知られるようになり、2014年のヒット商品の1つとしてTIME誌が紹介するなど、発明から約30年をかけて世界的に広まった。
■ウォシュレットは、TOTOが販売する温水洗浄便座の商品名である。
1980年6月に発売以来、2011年1月には累計販売台数が3000万台を突破した。温水洗浄便座では高いシェアを誇り、INAX(現・LIXIL。
同社の名称はシャワートイレ)や他社製の同種類のものも含め「ウォシュレット」と呼ばれるほど定着しているが、ウォシュレットの名称はTOTOの登録商標(日本第1665963号など)である。
■【完全にプログラム可能なドラムマシン】1980年にローランドによって導入され808としても知られているローランド・TR-808は、初めての完全にプログラミング可能なドラムマシンだった。
これは、ブレイクやロール機能を備え、最初から最後までパーカッション・トラック全体をプログラムする最初のドラム・マシンだった。
梯郁太郎によって作成された808は、1980年代以降、ヒップホップ・ミュージックやエレクトロニック・ダンス・ミュージックの基礎となっており、ポピュラー音楽の中で最も影響力のある発明の一つとなっている。
★TR-808(てぃーあーるはちまるはち)はローランドが1980年に発売したリズムマシン。
名機として高く評価されている。
808という名から日本では俗に「やおや」とも呼ばれる。
1980~1983年にかけて製造され、製造台数は1万2千台。当時の価格は15万円だった。
■諏訪精工舎(現セイコーエプソン)本社(ウォッチ開発設計部)の社員である横澤幸男が1980年7月に初のラップトップパソコン/ノートパソコンを発明し、特許を取得している。
日本ではHC-20と呼ばれるセイコーのノートパソコンは1981年に発表された。
★HC-20は、エプソンが1982年7月にリリースしたハンドヘルドコンピュータである。
日本初のハンドヘルドコンピュータであり、当時136,800円で発売され注目された。
25万台を売り上げ、その後も後継機種がリリースされた。
マイクロソフト製BASICを内蔵。内蔵電池により最大約50時間の連続稼動が可能とされている。
プログラムは、マイクロカセットに保存・読み出しが可能。
2014年2月現在、専用インクリボンとロール紙が入手可能。
また、海外ではHX-20として販売された。
CPU:日立製 6301 614kHz(モトローラ 6800互換)
デュアルCPU構成
メモリ:
ROM:32Kバイト(標準) 最大40Kバイト
RAM:16Kバイト
キーボード:タイプライタ型 68キー
液晶表示部:
テキスト20桁×4行
文字フォント:5×7ピクセル
グラフィック:120×32ピクセル
プリンター:24ドット インパクトドットマトリクス方式
拡張インタフェイス:カートリッジ、オーディオカセット、バーコードリーダー RS-232C、シリアル
電源:内蔵ニッケルカドミウム電池、ACアダプタ (100V)
外形寸法:(W)290×(D)215×(H)44mm
重量:約1.6kg
■【3.5インチフロッピーディスク】1980年にソニーが3.5インチ (90mm) のディスクを開発し、1981年発売の英文ワープロ「シリーズ35」の外部記録媒体として採用・発売した。
8インチや5.25インチのフロッピーディスクは薄い樹脂製の袋に磁気ディスクが収められていたが、3.5インチではプラスチック製の硬質なケースに改められた。金属製のスライドカバーがあり、5.25インチディスクと比べ磁性面が接触から守られた。
1982年に発売された同社製のSMC-70からパソコンにも搭載されるようになり、1983年にヒューレット・パッカードがHP-150に採用したほか、ソニーも同年にMSXで採用し、アップルもマッキントッシュに採用した。PC9801 U以降の98シリーズやAtari ST、Amigaにも採用された。
ソニーは1985年年に未フォーマット時1.6MB、フォーマット時1.44MBの「2HD」のディスクを開発し、1987年にIBMがPS/2に採用してPC互換機もこれに追従。1988年までに3.5インチディスクの販売枚数は5.25インチを超えた。
■最初の羽根の無い扇風機は1981年に東芝が特許を取得した。
■【3Dプリンター】1981年、名古屋市工業研究所の小玉秀男は、光硬化性熱硬化性ポリマーを用いて三次元プラスチック模型を作製するための2つの付加法を発明した。
これは紫外線露光領域をマスクパターンまたは走査型ファイバー送信機で制御するものであった。
■【デジタル一眼レフカメラ】1981年8月25日、ソニーは初のスチルビデオカメラ「マビカ」の試作機を発表した。
このカメラは、交換レンズとSLRビューファインダーを備えたアナログ電子カメラであった。
1986年のフォトキナでは、ニコンはアナログ電子スチル一眼レフカメラの試作機ニコンSVCを発表した。この試作機のボディは、N8008と多くの機能を共有している。
■【水圧転写】水圧転写は、CUBIC PRINTINGとしても知られているが、その歴史はやや曖昧である。
タイカは1974年にCUBIC PRINTINGを発明したと主張している。
最も早い水圧転写印刷の特許は、1982年にタイカの中西幹育によって出願されたものである。
★水圧転写(すいあつてんしゃ)は、水転送印刷、CUBIC PRINTINGなどとしても知られており、印刷されたデザインを三次元表面に適用する方法である。その結果は、デコラティブアート(英語版)や応用美術とみなされることがある。
水圧転写処理は、金属、プラスチック、ガラス、硬材、および他の様々な材料に使用することができる。
水圧転写の正確な起源は不明である。
しかし、米国特許の最初の水圧転写装置は、1982年7月26日にタイカの中西幹育によるもので登録されている。
その要旨は、「転写フィルムが液体上に浮いた状態を保つ構造と、転写フィルムが供給される方向に液体を流動させる構造と、上流から下流方向に転写槽内の液体に被印刷物を斜めに浸漬する構造とを備え、液体の入った転写槽内に転写フィルムを供給する構造の印刷装置」である。
使用法
水圧転写処理は、あらゆる全地形車や車のダッシュボードから、自転車のヘルメットや他の自動車の装飾のような小さなアイテムまで幅広いアイテムを装飾するために使用されている。
フィルムは、プラスチック、ガラス繊維、木材、セラミック、金属を含むすべてのタイプの素材に適用できる。
ほとんどの部分については、アイテムが水に浸ることができ、伝統的な技術を使用してペイントすることができれば、水圧転写処理を使用できる。
■【インターロイキン-6】1982年、平野俊夫がIL-6の存在を発見。
1986年、IL-6遺伝子の単離に成功し、全構造を決定した。
レセプターの構造を決定。
岸本忠三と平野俊夫はその多様な機能と、複雑な情報伝達経路を解明した。
また、IL-6が関節リウマチなどの病態に重要な役割を果たしていることを突き止めた。
一連の研究により、IL-6だけでなくサイトカインの異常産生と、種々の疾患との関係が世界的に注目を浴びるようになった。
■1982 年、任天堂の横井軍平は円形のパッドのアイデアを考案し、それを縮小してポイントを変更し、画面上のキャラクターを操作するため、おなじみの現代的な十字デザインに変更して、同社のゲーム&ウオッチ「ドンキーコング」で使用した。このデザインは「十字キー」として知られるようになった。
■【テレビウオッチ】1982年にセイコーが開発した世界初のテレビ付き腕時計。
★テレビウオッチは、セイコーブランドで発売されたアクティブ・マトリクス液晶パネルを搭載した世界初のテレビ付き腕時計である。
1982年6月に開発・発表され、同年12月に108,000円で発売された。生産台数は約13,000個。
仕様
消費電力:約 520 mW(テレビ視聴)、250mW(音声のみ)
電池寿命:単三アルカリ乾電池2本で連続約5時間(テレビ視聴)、連続10時間(音声のみ)
レシーバ重量:約 140 mg(電池および付属品除く)
外形寸法:(幅)74.5 mm ×(長さ)19 mm ×(高さ)125 mm
表示体:テレビ部・・・FE型(電界効果型)ゲストホスト液晶、1.2インチ(16.8×25.2mm)
時計部:FE型ネマチック液晶、4.7×25.00mm
■ネオジム磁石は1982年にゼネラルモーターズ(GM)と住友特殊金属が独自に発明した。
★ネオジム磁石(ネオジムじしゃく、英語: Neodymium magnet)とは、ネオジム、鉄、ホウ素を主成分とする希土類磁石(レアアース磁石)の一つ。
永久磁石のうちでは最も強力とされている。
1984年にアメリカのゼネラルモーターズ及び日本の住友特殊金属(現、日立金属)の佐川眞人らによって発明された。
主相はNd2Fe14B。「ネオジウム磁石」と表記されることもあるが間違いである。
★特徴
磁束密度が高く、非常に強い磁力を持っている。磁気の強さにはN24からN54まで(理論上はN64まで)の等級付けがされる。
Nの後の数字は磁気の強さを表している。
数cmの大きさでも10kgf以上の吸着力があるため、扱う際には指を挟まないよう手袋をするなどの必要がある。
利用
利用される製品の範囲は小型から大型まで幅広い。
大型の製品の例としては、電車・電気自動車・ハイブリッドカー・エレベーター駆動用の永久磁石同期電動機の界磁などがある。
小型の製品の例としては、ハードディスクドライブやCDプレーヤー、携帯電話などが挙げられる。
ハードディスクドライブでは、ヘッドと呼ばれる読み書きする装置を移動させるためのアクチュエータに用いられる。
音響機器においては、より固いダンパーを採用可能であることから締まった低音が出るとされ、近年のヘッドフォンのドライバーの多くに用いられている
。サイズを小さくしても強磁界が得られることから特に小型のインナーイヤー型・カナル型ヘッドフォンには欠かせない。
欠点と対策
機械的に壊れやすいほか、加熱すると熱減磁を生じやすい(キュリー温度は約315℃)という欠点がある。
対策として、ジスプロシウムを添加し保磁力を向上させる手法が存在する。
1%のジスプロシウムの添加で熱減磁が15℃改善するといわれている。
ジスプロシウムは希少な資源であるため、最近ではジスプロシウムを使わずに、ネオジム磁石の結晶粒径を小さくすることにより、熱減磁を改善する研究が行われている。
しかし、ネオジムは酸素との反応性が強く、磁石の結晶粒を小さくすると、空気と触れる表面積が増えるため、自然発火することがある。
このため、酸素を除外した環境で製造する必要がある。
また、非常に錆びやすく、製品として用いられる際にはニッケルでめっきされていることが多い。
■ソニーは1982年に世界初のCDプレーヤー「CDP-101」を発売したが、これはコンパクトディスク用のスライドアウトトレイ設計を採用したものである。
★ソニーのCDP-101は、世界で初めて市販されたコンパクトディスクプレーヤーである[1]。このシステムは日本で1982年10月1日に定価168,000円で発売された。
日本だけでの発売は、CDフォーマットの開発を担当していたフィリップスが、当初合意していた発売日に間に合わなかったことが原因でもある。
ソニーは、発売日の全面的な延期に同意するのではなく、日本以外の国での発売を半年遅らせることに合意した。
フィリップスのCD100は1982年11月に発売されたが、初期のフィリップスのプレーヤーにはソニーの部品が使われていた。
この合意に基づき、このシステムは1983年3月に世界中で発売された。
■1983年 最初の液晶テレビは、日本でハンドヘルドテレビとして発明された。
1980年、精工舎(現セイコー)の研究開発グループがカラー液晶ポケットテレビの開発に着手した。
1982年、セイコーエプソンが初の液晶テレビであるアクティブマトリクス液晶テレビを搭載した腕時計「エプソンTVウォッチ」を発売した。
1983年、カシオ計算機が携帯型液晶テレビ「カシオTV-10」を発売した。
■【MY-1】1984年、徳永徹はBCGを抽出・精製してMY-1という核酸画分を発見。
MY-1中のBCG菌体DNAが、ナチュラル・キラー細胞やマクロファージを活性化し、強い抗腫瘍活性を示すことを発見。
これは、DNAの免疫増強効果を世界で初めて発見したものである。
■1984年に発売されたソニーのウォークマンは、最初のポータブルCDプレーヤーであった。
★CDウォークマン。1984年に初代のD-50発売。当初は「ディスクマン (Discman) 」と呼ばれており、後に8cmCD専用機として「CDウォークマン」の商標が登場したが、1998年10月以降「ディスクマン」と「CDウォークマン」が統合され現行名に改称。
■ゲルインクボールペンは、1984年に大阪のサクラクレパスが発明したもの。
■1984年、藤沢薬品工業(現アステラス製薬)の研究により筑波山の土壌細菌(放線菌の一種、Streptomyces tsukubaensis)よりタクロリムス (tacrolimus)が分離された。
1993年5月に肝臓移植時の拒絶反応抑制剤として認可され、後に腎臓、肺、骨髄などの移植に用いられた。さらにアトピー性皮膚炎、重症筋無力症、関節リウマチ、ループス腎炎へも適応が拡大された。
タクロリムス (tacrolimus) は、23員環マクロライド・マクロラクタム構造を持つ免疫抑制剤の一種で、臓器移植または骨髄移植を行った患者の拒絶反応を抑制する薬剤である。またアトピー性皮膚炎に対する塗布剤、関節リウマチ治療薬としても用いられる。
■吉野彰は1985年に現代のリチウムイオン電池を発明した。1991年には、ソニーと旭化成が吉野の設計を用いた初の市販リチウムイオン電池を発売した。
■1985年、大村智らは遺伝子操作による新しい抗生物質メデルロジンを創製し、微生物創薬の発展の礎を築いた。
これは世界で初めて遺伝子操作により化合物を作り出したものである。
■1985年、満屋裕明はデオキシヌクレオチドが強い抗HIV活性をもつことを発見し、アメリカ国立衛生研究所で世界初のHIV治療薬「AZT」を開発した。
★2006年には、満屋裕明がアメリカの研究者との共同研究で開発したHIV治療薬「ダルナビル (en:Darunavir)」が、途上国が特許料を払わずに使える医薬品として世界で初めて国連の機関に登録された
■【IGZO系酸化物半導体TFT】1985年に君塚昇が初めて単結晶IGZOの合成に成功。
2004年に東工大の野村研二、神谷利夫、細野秀雄らが「アモルファスIGZO-薄膜トランジスタ(TFT)」を開発。携帯電話のディスプレイに使われている。
■【スパイラルエスカレーター】三菱電機は1985年に世界初の実用的なスパイラルエスカレーターを発表した。スパイラルエスカレーターは、従来のエスカレーターよりも省スペースであるという利点がある。
スパイラルエスカレーターの一例
■【カドヘリン】1986年には竹市雅俊がカドヘリンを発見し、カドヘリンが細胞間接着を担う分子であることを突き止めた。
カドヘリン (Cadherin) は細胞表面に存在する糖タンパク質の一群で、細胞接着をつかさどる分子であり、動物の胚発生に重要な役割を果たす。
★カドヘリンの機能
細胞接着、胚発生、形態形成、がんの浸潤・転移、シナプス形成、シナプス可塑性。
■【自動巻クォーツ】1986年にセイコーが発表した自動巻と水晶振動子を組み合わせた最初の時計。
■【磁束量子パラメトロン】後藤英一は、1986年に既存のパラメトロン技術の改良として、集積回路上の超伝導ジョセフソン効果を用いた磁束量子パラメトロンを発明した。
★磁束量子パラメトロン[は1986年に後藤らにより、ジョセフソン効果を利用するもので最大16GHzもの高速動作が可能なスイッチング素子として提案されたものである。
この素子の原理が似ていることについて後藤は「(略)。原理がパラメトロンと似てるっていうのはさ、まあ、同じ人間が考えると同じようなものができるってことだろうね」とインタビューに対して答えている。
高速性の他、他の超電導デバイス(ジョセフソン素子等)と比較して省電力性が特徴だが大規模な集積はできていない。量子を利用しているが、いわゆる量子計算ではない。
■【電子制御無段変速機(ECVT)】1987年初頭、富士重工業は、自社開発した電子制御無段変速機(ECVT)を搭載したジャスティを東京で発売した。
■1987年【ソフトレーザー脱離法】パルスレーザー光の照射により高質量有機化合物をイオン化するための試料作成法を田中耕一が報告した。これは世界で初めて高質量分子のイオン化の成功である。1988年には高質量分子を世界で初めて質量分析した。
■【野依不斉水素化反応】1987年、野依良治は野依不斉水素化反応を発見した。
化学物質の合成の際、一緒に別の物質までできてしまうことが課題であった。
野依はBINAPという左右の物質を作り分けることのできる触媒を完成させ、不斉合成反応により、狙った物質のみを合成できるようにした。様々な薬品の製造等に活用されている。
★野依良治は1987年にこの触媒還元系を発見し、2001年にウィリアム・ノールズ、バリー・シャープレスと共にノーベル化学賞を受賞した。
■カミオカンデ 1987年、超新星爆発で生じたニュートリノを小柴昌俊らは偶発的に世界で初めて検出した。
■【CRISPR】1987年、石野良純はCRISPRを発見した。
★CRISPR (英: clustered regularly interspaced short palindromic repeat; クリスパー)は数十塩基対の短い反復配列を含み、原核生物における一種の獲得免疫系として働く座位である。
配列決定された原核生物のうち真正細菌の4割と古細菌の9割に見出されており、プラスミドやファージといった外来の遺伝性因子に対する抵抗性に寄与している。
■【ドリフト選手権】1988年、土屋圭市はOptionの創刊者で編集長の稲田大二郎と一緒に、車を横にスライドさせることに特化した最初のコンテストを開催した。
1996年、Optionは海外で初の選手権を開催し、他国へ広がりはじめた。
ドリフトの一例
■世界初のカラープラズマディスプレイは1989年に富士通が製造した。
■【十倉ルール】1989年、電子型高温超伝導体を世界で初めて発見した。
そこから高温超伝導物質の一般則(十倉ルール)を発見した。
★「高温」とされる温度は、超伝導物質の研究の歴史において時期、状況によって異なる。
国際電気標準会議 (IEC) の国際規定IEC60050-815(2000) と日本工業規格JIS H 7005(1999) では、「一般的に約25 K以上の Tc を持つ超伝導体」と定義されている。
しかし、転移温度が90 Kを超えるものが一般的になった今では液体窒素温度(−195.8 °C、77 K)以上で転移するものを高温超伝導体と呼ぶことが多い。
■修正テープは、日本の文具メーカーのシードによって1989年に発明された。修正液の代替品である
■【リーン生産方式】トヨタ生産方式(TPS)から派生した一般的な生産管理の哲学で、(そのためトヨタ式という言葉が流行している)1990年代にのみ「リーン」として識別された。
★リーン生産方式(リーンせいさんほうしき、lean manufacturing、lean product system、略称LPS)とは、1980年代にアメリカのマサチューセッツ工科大学(MIT)の研究者らが日本の自動車産業における生産方式(主にトヨタ生産方式)を研究し、その成果を再体系化・一般化したものであり、生産管理手法の哲学。
リーン生産方式はトヨタ生産方式を研究して編み出された方式であり、MITのジェームズ・P・ウォマック(英語版)、[{仮リンク|ダニエル・T・ジョーンズ|en|Daniel T. Jones (author)}}らの著書『リーン生産方式が 世界の自動車産業をこう変える』(1990年)により全米に広まった。
1980年代に日本からアメリカに大量の自動車が輸出されるようになると、アメリカの自動車産業業界は日本車の価格の安さをダンピングであると非難した。
一方で、ウォマックらは日本の自動車産業業界の研究を行いトヨタ生産方式の「ムダ取り」に着目した。
製造工程の「ムダ」という「ぜい肉」を落としたスリムな生産方式を「リーン生産方式」と名付けた。
英語: leanには「ぜい肉がなく引き締まって痩せている」というような意味合いがある。
■1991年、飯島澄男は多様ならせん構造をもつカーボンナノチューブを発見し、電子顕微鏡で構造を決定した。
■【光誘起相転移】1992年、腰原伸也は光照射により物質の性質を超高速かつ劇的に変化させる、光誘起相転移を世界で初めて提唱し、これに対応する物質を数多く発見した。
■【ATG遺伝子】1992年、大隅良典らは出芽酵母のオートファジーを初めて観察した。
1993年、大隅良典らは出芽酵母のオートファジー不能変異株15種を単離し、世界で初めてATG遺伝子を発見した。
前述の15株から14種の遺伝子を同定し、仕組みを分子レベルで解明した。
★オートファジー (Autophagy) は、細胞が持っている、細胞内のタンパク質を分解するための仕組みの一つ。
自食(じしょく)とも日本語訳される。
酵母からヒトにいたるまでの真核生物に見られる機構であり、細胞内での異常なタンパク質の蓄積を防いだり、過剰にタンパク質合成したときや栄養環境が悪化したときにタンパク質のリサイクルを行ったり、細胞質内に侵入した病原微生物を排除したりすることで生体の恒常性維持に関与している。
このほか、個体発生の過程でのプログラム細胞死や、ハンチントン病などの疾患の発生、細胞のがん化抑制にも関与することが知られている。
★東京工業大学の栄誉教授・大隅良典が、オートファジーの仕組みを解明した功績から2016年のノーベル生理学・医学賞を受賞した。
■【PD-1】1992年、本庶佑研究室の大学院生であった石田靖雅らがPD-1を同定・命名。
その後の研究で本庶佑らは、PD-1が免疫反応の負の調節因子であることを明らかにした。
PD-1シグナルの遮断が有効ながんの免疫治療となりうる可能性を世界で初めて提示し、新しいがん免疫療法に道を拓いた。
★PD-1(Programmed cell death 1)は活性化T細胞の表面に発現する受容体(またはその遺伝子)である。
一方、PD-1に結合するリガンドであるPD-L1および PD-L2は、抗原提示細胞の表面や血管内皮等に発現し、T細胞を抑制させ自己への攻撃を抑制する役割を担っているが、一部の癌細胞では同じものを表面に多く発現する場合があり免疫による癌細胞への攻撃回避を促進させてしまう。
PD-1かPD-L1のどちらかを人工的に作った抗体で蓋をしてしまうことで結合を阻害しT細胞を抑制させない薬が認可されたが、副作用として自己免疫疾患(自己組織への攻撃)が起こる場合がある。
■1992年、日本の発明家である中村修二は、最初の効率的な青色LEDを発明した。
■超伝導電磁推進船 – ヤマト1が神戸港において海上航行実験に成功した。(1992年6月16日、日本)スクリュープロペラが存在しない世界初の実験船でもある。
■マトリックス型バーコードの一種であるQRコードは、1994年にデンソーウェーブによって発明された。
■【物理モデル音源】最初に市販された物理モデル音源シンセサイザーは、1994年にヤマハのVL-1であった。
★物理モデル音源(ぶつりモデルおんげん)は、デジタル信号処理(DSP)を利用して、生楽器の発音構造や共鳴構造をコンピュータ上でいかに振動・共振するかをリアルタイムに演算し、音色を仮想的に合成(シミュレート)して音を出す方式。
生楽器だけでなく、実在しない楽器も作成することも可能である。この物理モデル音源は物理音源やDSP音源とも呼ばれる。
■【制御性T細胞】1995年、体内に侵入した細菌などの異物を排除する免疫反応の手綱を引く「制御性T細胞」というリンパ球を坂口志文が発見(命名は2000年)。
それが異常になることで自己免疫病やアレルギーの原因になることを証明した。
★制御性T細胞(せいぎょせいTさいぼう、英: regulatory T cell, Treg、Tレグ細胞、Tレグ、調節性T細胞とも)は、免疫応答の抑制的制御(免疫寛容)を司るT細胞の一種。
免疫応答機構の過剰な免疫応答を抑制するためのブレーキ(負の制御機構)や、免疫の恒常性維持で重要な役割を果たす。
制御性T細胞の発生には、Foxp3誘導のほか、それとは別系統のTCR刺激によるDNAの配列変化を伴わない遺伝子機能の変化(エピジェネティクス参照)により、T細胞が制御性T細胞に分化すると考えられる。
■1995年に開発されたDVDは、日本の3社(ソニー、東芝、パナソニック)とオランダの1社(フィリップス)の協力により誕生した。
■【運動支援用ロボット外骨格(医学) パワードスーツ】1996年に筑波大学の山海嘉之教授らによって開発されたロボットスーツHAL(Hybrid Assistive Limb)は皮膚表面の生体電位信号を読み取り動作する世界初のパワードスーツであり、その後、産学共同体企業サイバーダインが設立されている。
この装置の全身型は例えば100kgのレッグプレスができる人間が装着すれば180kgを動かすことができ、数kgを持ち上げる感覚で40kgの重量物を持ち上げることができる。
2008年10月よりHALの下半身タイプが大和ハウス工業からリース販売されている。
また2011年3月11日の福島第一原発事故後、「HAL」を原発作業員のために改良した新型ロボットスーツを公開している。
■最初の商用ハイブリッドカーは、1997年に発売されたトヨタ・プリウス。
■カメラ付き携帯電話世界初のカメラ付き携帯電話(リアルタイムのビデオ通話機能も備え、画像付きメールを送ることもできた。)のVP-210は1999年に京セラによって開発された。
■【最初の絵文字】1990年代末に栗田穣崇(くりたしげたか)がiモードの携帯電話に絵文字を導入。
■【活性化誘導シチジンデアミナーゼ】1999年、本庶佑らは活性化誘導シチジンデアミナーゼ(AID)を発見。
その後の研究で、これがクラススイッチ組換えのみならず、体細胞超突然変異にも必須の酵素であることを明らかにした。
こうして抗体の機能性獲得のメカニズムを明らかにした。
■【世界初の本格的な二足歩行ロボット】ASIMO(アシモ)は、本田技研工業株式会社が開発し、ホンダエンジニアリング株式会社が製造していた世界初の本格的な二足歩行ロボット。
予測運動制御によって重心やゼロモーメントポイント(ZMP)を制御して自在に歩くことができ、階段の上り下り、旋回、ダンスなども可能。親しみやすさを考えたデザインを採用している。
本田技研工業の説明によると、「ASIMO」という名称は「Advanced Step in Innovative Mobility(新しい時代へ進化した革新的移動性)」の略である。開発の動機に手塚治虫の鉄腕アトムがあったとされている。
■【スーパーフラット】漫画やアニメの影響を受けたアーティスト村上隆によって2000年頃に創られたポストモダンな芸術形態である
■【TLR9】TLR9が細菌およびウィルスの DNAを認識する受容体であることを審良静男は発見し、2000年に発表。
自然免疫は侵入者を無差別に攻撃するのではなく、細胞膜にあるTLRという受容体がセンサーとして作動し、細菌やウィルスの種類に応じて働いていることがわかった。
癌や花粉アレルギーのワクチン開発など、多方面の応用研究が展開されている。
■2001年【Blu-ray Disc】中村修二が実用的な青色レーザーダイオードを発明した後、ソニーはこの新しいダイオードを応用した2つのプロジェクトを開始した。2001年に発表したUDO(Ultra Density Optical)とDVR Blue(パイオニアと共同開発)で、最終的にBlu-ray Discとなる書き換え可能なディスクのフォーマットである。Blu-ray Disc アソシエーションは、9つの企業(日本:5、韓国:2、オランダ:1、フランス:1)とマサチューセッツ工科大学によって設立された。
■【セラミックス伝導体】2002年、細野秀雄らは、代表的な絶縁体であるセラミックスを半導体に変えることに成功した。
■【ガラス集積回路】山崎舜平は、全体がガラスでできた、8ビットの中央処理装置を備えた集積回路を2002年に発明した。
★2002年のシャープとのガラス基板上CPU形成技術。
■【Foxp3】2003年、制御性T細胞の特徴を決めているとみられるマスター遺伝子であるFoxp3を坂口志文らが発見。
これは、IPEX症候群という免疫疾患の原因遺伝子である。
■ニホニウム 2004年、理化学研究所は、森田浩介らのグループが「113番元素」の合成に成功。6回のアルファ崩壊を経て254Mdとなる崩壊系列の確認に初めて成功した。原子番号113の元素Nh。
■【TLR7】2004年、TLR7がRNAを認識することを審良静男らは発見。
抗体の産生にTLR7が必須であることを明らかにした。
★Toll様受容体(トルようじゅようたい、Toll-like receptor:TLRと略す)は動物の細胞表面にある受容体タンパク質で、種々の病原体を感知して自然免疫(獲得免疫と異なり、一般の病原体を排除する非特異的な免疫作用)を作動させる機能がある。
脊椎動物では、獲得免疫が働くためにもToll様受容体などを介した自然免疫の作動が必要である。
■世界初のLEDバックライト付き液晶テレビは、2004年に発売されたソニーの「QUALIA005」。
■2005年【プラスチック中央処理装置】山崎舜平は、すべてプラスチックで作られた中央処理装置を発明した
★TDKとのプラスチック基板上無線CPU形成技術。
■ニホンコウジカビのゲノムの配列が解析され、2005年後半に日本のバイオテクノロジー会社のコンソーシアムによって公開された。
■【iPS細胞】人工多能性幹細胞(iPS細胞)は、成熟細胞を用いて作られる多能性幹細胞の一種である。
iPS細胞技術は2006年に山中伸弥とその研究室の研究者によって開発された。
■【鉄系超伝導物質】鉄を含む化合物は超電導を示さないと考えられていたが、細野秀雄らはLaFePOなどが超伝導性を示すことを2006年にかけて発見した。
■【モーションコントローラー】任天堂がWii用に発明したWiiリモコンは、モーションセンサー機能を備えた最初のコントローラである。これは2006年のタイムのBest Invention候補であった。
■【RFIQin】井村守が発明し、2007年に特許を取得した自動調理装置。
■【セメントの超電導体化】2007年、細野秀雄らは、代表的な絶縁体である12CaO・7Al2O3(C12A7)が超電導を示すことを発見。
■世界で初めて成功した惑星間太陽帆探査機「IKAROS」は、2010年5月21日にJAXAによって打ち上げられた。
■2010年6月13日はやぶさ(第20号科学衛星MUSES-C)は地球重力圏外にある天体(小惑星イトカワ)の固体表面に着陸してのサンプルリターンに、世界で初めて成功した。
■2011年 シチズンが世界初の衛星電波式腕時計『エコ・ドライブ サテライトウエーブ』を発表。
■2013年【テトラクォーク】2013年最初に確認されたテトラクォークであるZc(3900)が、日本と中国のチームによって独立して同時に発見された。
★Zc(3900) とは、粒子の1つでテトラクォークもしくは中間子分子の候補。
■2014年 – カシオが世界初のハイブリッド時刻取得システム(GPS受信+標準電波受信)を搭載した腕時計『G-SHOCK』発表。
■2014年、トヨタは初の量産型水素燃料電池車「トヨタ・MIRAI」を発売した。
ミライの航続距離は312マイル(502km)で、再充填に約5分かかる。当初の販売価格は約700万円であった。
■2017年 – カシオが世界初の3つの時刻取得システム(Connectd エンジン 3-Way)を搭載した腕時計『G-SHOCK』発表。